誤ったセオリーの氾濫

麻雀は運の要素が強いゲームです。いえ、それどころか、麻雀はゲームと呼ばれるものの中で最も運の要素が強いものであると言っても過言ではないかもしれません。何故なら、勝敗がつくものの中で、麻雀より運の要素が強いものは、ゲームではなく運試し(じゃんけんやクジ)、あるいはギャンブルとして認識されているからです。これらも広義の意味ではゲームであると言えますが、一般的にゲームと呼ばれることは少ないです。

それ故、麻雀を打ってて不運に見舞われ、麻雀の理不尽性を嘆く書き込みは毎日のように見受けられます。理不尽と思うようなことは様々ありますが、よく見る書き込みの一つにこのようなものがあります。

「ダブリーに一発目に字牌を切ったらダブリー一発七対子ドラドラに振り込んだ。」

長く麻雀を打っていれば自分が振り込んでいなくても一度くらいは見たことがあるのではないでしょうか。何度も経験して、どうもダブリーは七対子が多いのでは、字牌は却って危険ではないかと思っている人も多いのではないでしょうか。

さて、ダブリーに七対子、字牌待ちが多いというのは本当でしょうか、それとも単に印象の問題なのでしょうか。

参照データ:「麻雀の数学 天和の確率

天和の総組み合わせ数

ここの天和の確率の項を参照すると、天和の総組み合わせのうちの約11.7%が七対子形であるようです。アガリ形の14枚のうちの1枚を任意の牌に置き換えればテンパイ形になるので、ダブリーできる場合は全てダブリーすると仮定すると、ダブリーが七対子である確率もこれと大体同じであると言えるでしょう。これは、和了全体に占める七対子の割合(3.0%)の実に4倍近くになります。単騎であれば待ちのなりやすさは数牌も字牌も変わらず、待ち選択では出アガリしやすい待ちが選ばれることになりますから、必然的に字牌待ちも増えることになります。

このような差がつく理由は、単純な牌の組み合わせと、打ち手が和了に向かった場合に出現しやすい牌の組み合わせが異なる為です。多くの手は七対子よりも面子手、それも順子手に向かう方が和了易いので、必然的にピンフやタンヤオが多くなるのです。一方、ダブリーの場合は、最後の待ち選択以外は打ち手の意思が介在する余地がありません。故に単純な牌の組み合わせがほぼ出現率に一致し、組み合わせ数だけは多い七対子の出現率が増えるというわけです。これと同じ理屈で、ダブリーに3・7牌は危険(これも格言としてたまに聞かれる)というのも言えます。通常の手であれば4・5・6牌の方がリャンメンに当たる可能性が2通りあるので4・5・6牌の方が危険ですが、単純な牌の組み合わせだけなら3・7はペンチャンも存在するので4・5・6が待ちになる場合とほぼ変わらなくなります。(ペンチャンよりリャンメンを優先するという打ち手の意思が介在しない。)よって、ダブリーに七対子、字牌待ちが多いというのは本当です。しかし気をつけねばならないのは、それでももちろん面子手である可能性が遥かに高く、字牌より数牌の危険度が高いことは変わらないということです。(同様に、3・7牌が4・5・6牌より危険になるのではなく、4・5・6牌と同等に危険になるだけです。)

麻雀界には、実は間違っているけど一般に広まっているセオリーというのも数多くあります。しかし、寧ろより気をつけなければならないのは、単に誤ったセオリーだけでなく、「言っていること自体は正しいが、そのセオリーの一面的な正しさだけを鵜呑みにしてを戦術として用いようとすると却って戦績が悪化する」ようなセオリーです。上記のような、戦術として用いること自体不可能なセオリーであれば用いるだけで逆効果ですが、戦術として用いるのに十分有効であるセオリー(親はスピード重視等)であっても、誤った用い方をすれば逆効果になります。セオリーに関する知識が乏しい人は初心者ですが、このようなセオリーを適当にごちゃ混ぜにして稚拙な”マイ戦術”を作っている人が自称上級者なのです。「どのような手牌、状況で○○というセオリーが成り立つのか」という合理的判断力を身につけなければ、セオリーは無用の長物なのです。

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