タイトル戦システムの問題点

タイトル戦(大会)のシステムが抱える更なる問題点について

前回は、タイトル戦の打荘数があまりにも少ない為、タイトル戦の勝者=実力者とはとても言えないという問題点を挙げましたが、実は他にも色々な問題点があるのです。

勝ち組の麻雀 麻雀日記 「2007年10月記事」(2007年9月〜10月の内容参照)

タイトル戦で優勝の目がなくなった場合の打ち方について

麻雀は親番がある限りは獲得できる点数に上限はありませんが(プロの大会はほぼトビ無しなのでトビ無しのルールと仮定して)、最後の親が流れてしまうと、理論上優勝の可能性が0(あるいは、限りなく0に近い)になってしまうこともあります。そのような場合、優勝争いをしている打ち手の迷惑にならないよう、目無しの打ち手はは配牌からオリるべきという考えがあります。実際、多くのプロはこの考えに基づいてタイトル戦を打っているようです。

一見潔い行為にも見えますが、実は次のような問題が生じます。

親のBプロは、ただ攻め続けるだけです。
トップ目のAプロは、Bプロの親を落として終局したいです。
しかし、目無しのCプロDプロがアガリにむかわないため、自らアガルことでしか終わらせることはできません。
(Bプロがノーテン終了という可能性もあることにはあるが。)

しかしBプロへの放銃は、親への放銃、しかもデバサイ放銃になるため、うかつに攻めることはできません。

そうなると、今までの4人麻雀から2人麻雀になります。
しかもその2人は互角ではなく、ラス親がかなり有利になります。

こういった特殊状況から生まれる連荘を「弊害連荘」というらしいです。

勝ち組の麻雀 麻雀日記 「タイトル戦での目無しの打ち方」より

そうです。迷惑をかけないように打つこと自体が、実はトップ目にとって迷惑になってしまうのです。他人に迷惑をかけないように生きることが不可能であるように、麻雀は参加した時点でどのように打とうが他家の誰かにとって迷惑になってしまうのです。自分にまだ勝ち目があるのであれば、人の迷惑など構わずに自分が最も勝てるように打てばいいだけです。しかし、(大会は優勝以外も順位によって賞金額が変わることが多いが)優勝以外に価値がないとするならば、このような、”どのように打とうが自分の結果には影響しない”半荘、つまり消化試合というのが大会では生じ得ます。そして、そのような消化試合が生じることは、また別の問題を起こす可能性もでてくるのです。

消化試合の為どのように打とうが自分の結果に影響しない打ち手が現れることによる問題点

消化試合が起こるのはタイトル戦の目無しだけではありません。これまでの半荘の合計点で既にタイトル戦挑戦やリーグ戦昇級が余程のマイナスを引かない限り決定している場合や、昇級はまず無理だが残留はほぼ確定の場合も、その後の半荘は消化試合になります。どのように打とうが自分の結果に影響しない以上、特定の打ち手(親しい間柄であるなど)を意図的に押し上げるような八百長行為が行われる危険性が出てきます。

参考文献:勝ち組の麻雀 麻雀日記 「日本プロ麻雀協会八百長疑惑について

上に最近の実例を挙げましたが、このような問題は今まで何度となく起こっており、対応策については一切練られてこなかったというのが現状です。

消化試合の存在が麻雀をより運ゲーにする

これまで挙げたのは主にモラル面での問題でしたが、それだけでなく、”実力による選抜システム”として尚更機能しなくなるという点でもまた問題なのです。役満をあがらなければならない局面であれば、上手く打てば本当に役満が上がれている場合でなければ、どんなに上手い人が打っても他の打ち手と差をつけることができません。消化試合についても同じことが言えます。消化試合の存在が、ただでさえ運の要素の強い麻雀というゲームが、実力通りの戦績に収束するまでにかかる試合数を増やしてしまっているのです。また、自分が消化試合でなくても、他家の誰かがそうであれば、その他家が意図的な着順操作を行うかもしれません。そうなると自分の結果がより運に左右されやすくなってしまいます。

タイトル戦では、できるだけ途中で誰かの優勝が確定しないよう、あるいは自分が目無しにならないよう、トータルトップに厳しく打つことがよく行われます。大半のプロは意識してやっていることでしょう。もちろんそれも一種の技術です。しかし、麻雀のゲームの性質上そうそううまくいくものではありません。成功率の低い戦略が有効になることは、前にも書きましたように運の要素が却って強くなります。また、普通の一半荘あたりの収支を争う場合と異なり、トータルトップがより勝ちにくくなるように他の三人が意図的に打つとすれば、トータルトップに立つ可能性が他の打ち手より多い”実力者”がより勝ちづらいことになり、結果として大会形式のほうが普通の半荘よりも、実力による戦績差がつきづらい運ゲーになってしまうことになります(これは、多人数で行い、各人が他のプレーヤーに対して妨害することが可能なゲームである以上やむを得ないことではありますが)。

以上の点から、私は大会形式で勝利者を決めることは、”実力による選抜システム”として非常に稚拙なものであり、また、対局者、観戦者双方の観点からの、麻雀というゲームの面白さを損なう恐れがあると考えます。(面白いかどうかについてはまさに個人の好みの問題ですが、消化試合にあたる半荘を対局、観戦することは、多くの人にとってつまらないものなのではないでしょうか。)

では、どのような制度にすれば、”実力による選抜システム”が上手く機能すると言えるのでしょうか。これについては次回以降書きます。

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