デジタルのすすめ

今回はデジタルとアナログについて。

前回同様、これらはあくまで打ち手の麻雀観を表すであり、強さを示すものではないことには注意する必要があります。寧ろ、今まで(非オカルトという意味でのデジタルが台頭する以前はもちろんだが、最近であっても)強いと称されてきた打ち手は、殆んどがアナログ寄りの打ち手であり、そのことからも、デジタルが余り良いイメージを持たれない理由にもなっています。

しかしそれでも私は、実力向上を目的とするのであれば、デジタル的麻雀観を持つことをお勧めします。

強いとされる打ち手にアナログ派が多い理由は、まず第一に麻雀の競技人口の大半はアナログ寄り(ついでに言えば大半とまではいかなくても多くはオカルト派である)であることです。このようなネット麻雀関係のコミュニティに属していると忘れがちになる事実です。大半の打ち手はアナログとデジタルから選んでアナログ派になるわけではありません。そもそもデジタル派になるような機会がないのです。

次に、戦術のシステム化を重視するのがデジタルというのがここでの定義でしたが、古い時代であれば戦術がシステム化されることは稀で、されたとしても多くは精度の悪い、所謂“誤ったデジタル"でしかなかったことが理由として挙げられます。(非オカルトとしての)デジタルが台頭した頃は、期待値を(枚数)×(打点)で表していました。ご存知の通りこの計算式は明らかに誤りであり、しかも実際の優劣とは大きくズレが生じてしまいます。この方法で打牌選択を決定するくらいなら、殆んどあてずっぽうでしかない程度の直感、経験則で選ぶ方がまだましです。何故なら、誤ったデジタルでは同じ局面でずっと同じ間違いをする羽目になりますが、気まぐれで打てばたまには正着を選べることがあるからです。

しかし、システム化された有力な戦術がない状態では、勝てる打ち筋は、優れたセンスによって、あるいは類い稀な強運によって偶然得られるものでしかありません。アナログではそのようなセンスを持ち合わせていない大多数の打ち手ができることは、精々日々ひたすら打つことでセンスを磨くなり、ほとんどあてずっぽうでしかない直感、経験則によって打ち筋を変えて運が良いことを祈るくらいしかありません。

一方、予め決められた基準に沿って打つことは(これも高い精度を維持することは決して容易ではありませんが)、そのようなセンスを持ち合わせていなくても可能です。喩えれば麻雀の真理を求め自分の力で険しい道を一人で歩いていくのがアナログであり、 船に乗って進んでいくのがデジタルなのです。

もちろん、いくら船に乗れば楽に速く進めると言っても、進む方角が違えば決して目的地にたどり着くことはできません。ですが、過去に比べれば麻雀戦術は大きく進歩しており、そのようなデジタルの教えによって、実力を急速につけることができた打ち手が数多くいるのも確かな事実です。戦術がシステム化されれば、他者と同じ戦術を共有することができ、仮に戦術が間違っていたとしても、言語という形で明確になっていれば、どう修正すべきかを検討することが容易になります。

繰り返しになりますが、デジタル的であるから強いということはありません。私はこれまで打牌選択をいかにうまく体系化していくかということに力を入れてきましたが、正直なところ、本当にどこまで正しいかはかなり怪しいものがあります。しかし、私のような凡夫が麻雀で強くなるには、デジタル的な方法論でしか有り得ないことは確信しています。これからも、自ら信じ、人にも教えて信ぜしめ(自信教人信)、麻雀を打つ日々を送らせていただければと思うばかりです。

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