デジタルへの道1

デジタル派たる為に必要なこと。それは打牌選択の体系化、基準を設けることに他なりません。基準を設けるには、何故そのような基準なのかという相応の理由がもちろん必要です。基準に理由があるということは、それを他者に説明することもできるということにもなります。

何切る問題を扱うサイトは数多くあり、そこではあらゆる人が、自分の打牌選択に様々な手法を用いて説明しています。しかし、十分な説明がなされていると言えるものはなかなかないものです。もちろん、十分な説明をしなくてはならないというものではありませんが、デジタル的である為にはできる必要があります。

ここでの十分とは、その理由を元に打牌選択すれば、客観的に打牌選択を1つに決定できるという意味です。正しいかどうかは問題ではないことに注意が必要です。
逆に言えば、十分でない説明というのは、

(1)その理由だけでは他者がその打牌を再現できない(要するに、単に自分は打牌Aが良いと思ったに終始してるだけの説明、打牌Aには○○というメリットがあり、打牌Bには××というメリットがあるが、自分は○○>××だと思うという風になっていればよい)

(2)その理由だけでは他の打牌も候補にあがってしまう(○○というメリットがあるから打牌Aとしたが、打牌Bにも同じメリットがある場合)

の二つのうち少なくとも一つが該当するものです。

要するに、前提となる理由が正しければ確かにその選択が正着であることが言えるということです。(もちろん、選択の理由がそのコミュニティ内では当然の認識とされていて、わざわざ説明しなくてもよいと思ったのであれば説明を省略しても構いません。どこまでを当然とするかは難しいところがありますが)十分な説明ができるようになるには、打牌選択をする際、何故、「他の牌ではなく」それを切るのかを常に意識することが肝心です。

前提が正しければ正着であるというだけなので、前提となる理由に誤りがあったり抜け落ちがあれば正着とは言えなくなります。しかし、このような説明がされていれば、(十分な説明がされている)他者の選択と食い違いがあった場合、前提に誤りや抜け落ちが無かったかを容易に確認できます。もし抜け落ちや、自分の中の基準における誤りが無ければ、自分と他者の間に基準に違いがあったということになり。それが何なのかも明確になります。この段階まで行けば、目的が結論を出すことであれば、これ以上の議論は不毛になります。(自分が十分な説明ができるのは当然として)この段階に辿り着くことができないのであれば、相手が十分な説明をできていない、もしくはこちらの説明を理解できてないということになるので、やはり議論は不毛に終わります。麻雀が強くなりたいのであれば長々と議論をすることはありません。

結論が出なくても、他者の説明が参考にならなくても、議論が無意味になったというわけではありません。何故なら、議論によって、自分の中の漠然とした考えが明確にすることができるからです。漠然とした考えのままでは打牌選択を体系化することはできません。そして、体系化なくしては真理に辿り着くことは極めて困難です。これだけでも十分収穫であったと言えますが、実力、理論ともに信頼のおける人に質問してみれば尚良いです。もし新たな発見があれば、打牌基準の精度を高めるうえで貴重な糧になるでしょう。

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