真実の教え1

現代麻雀技術論(以下現麻)の目指す理想は、麻雀の真理を解明し、言語という形で体系化することです。これまでまとめてきた戦術論は、私一人の力では何一つ書き上げることはできなかったでしょう。多くの方の協力、参考となった戦術本、戦術サイトあってのものです。協力者、これらの戦術論の執筆者の方にも、改めてお礼を申し上げます。

さて、これは麻雀に限ったことではありませんが、真実の教えに出会うことは、大変難しいものです。世の中には誤った教えに満ち溢れています。しかし、全てを知り尽くしている人は誰一人として居ませんし、最初から言われなくとも正誤の判断がつくことに関しては、私達は改めて学ぶことはありません。ですから、私達は、実は真実でないのかもと疑いを感じる余地のある教えからしか学ぶことができないのです。

真実でない教えと一口に言っても、大きく分けて三種類あります。それは、誤り方便です。

著者が真実を知りながら、読者を騙す為に真実と違う内容を述べている。
誤り
著者が真実を知らないにもかかわらず、真実だと思って真実と違う内容を述べている。
方便
著者は真実を知っているが、そのまま伝えては読者に伝わらないと考え、敢えて真実と違う内容を述べている。

嘘の教え

誠に残念なことですが、単なる誤りでなく、分かったうえで嘘をついているとしか思えない内容の戦術論も世の中には存在します。

南家 5巡目 ドラ(3)
四四五五六六(1)(1)(4)34566

某書ではこの手から、(4)リーチ、(4)ダマ、打3を候補として長所短所を挙げ、最終的には打(1)を推奨していました。どうして打6が候補にないのでしょうか。他の候補が上がっていてこれだけ見落とすとは思えません。そして、私には打6が最も有力に見え、打(1)は候補の中で最も有り得ない選択に見えます。どうしても、著者がわざと誤魔化したのではないかという疑いを除くことができません。

嘘を嘘と見抜くことができるということは、既に真実を知っていることになります。真実を知っているのならばそこから新たに学ぶことはありません。故に、嘘の教えから学ぶものは(反面教師として学ぶのでなければ)ありません。

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