真実の教え3

方便の教え

嘘も方便という言葉がありますが、嘘と方便は本来明確に区別されるべき概念です。人に教える立場の人間は、ただ真実をそのまま教えれば良いというものではありません。

教えを理解する為には前提となる知識が必要となります。その知識を持たない相手にはそのまま教えても理解させることはできません。そのような場合は、より教えを簡略化して伝えることになります。簡略化してしまうとどうしてもその分真実からはズレが生じますが、真実を伝えるうえでどうしても必要なステップです。

例:メンゼン先制テンパイは即リーチ

また、教えについて内容は理解しても正誤について懐疑的な人に対しては、その人に判りやすい例えを用いて説得力を高める方法も有力です。例えはあくまで例えですので、これもどうしても真実からはズレが生じます。

例:デートとテンパイは先制に限る

個別に教えるのであれば、相手のレベル、立場に合わせて解説することも可能ですが、戦術論を記すとなればそうはいきません。必ずどこかに対象を決めなければなりません。よって一個人が、この本は書いてあることが難しすぎる、もしくは易しすぎるという理由で非難するのはナンセンスです。方便の教えを嘘偽りとして批判するのも同じです。しかし、戦術本のそのような性質故に、読み手に混乱が生じ、真実がなかなかうまく伝わっていないのもまた事実です。

お釈迦様は、仏の教えを、その人にとって理解し易い方法で説く(待機説法)伝道生活を続けられ、生涯書物を一つも残されませんでした。書物を残されなかった理由はまさに、方便の教えを真実と誤解されたり、真実の教えを誤って解釈されることで混乱が起こることを恐れてでした。

しかし、お釈迦様が亡くなられた後、教えを後世に残す為には、書物(お経)という形で残すよりありません。そして、事態はまさにお釈迦様の恐れていた事態となりました。何が真実の教えなのかを巡り、仏教は大乗仏教と部派仏教に分裂し、それが更に各宗、各派に分かれ、現代に至るまで争い合いを続けています。

言葉にも限界がありますが、活字という形で教えを伝えるとなると、更に限りが生じてしまいます。しかし、誰にでも開かれた形で戦術を公開するとなれば、もうそうせざるを得ないのです。

現麻のこれから

現麻に書かれてある内容は、麻雀の真理のほんの僅かしか表現できておらず、誤った内容も多くあると思います。(もっとも、僅かにでも知ってさえいればそこそこ勝てるのが麻雀ではありますが)戦術を活字として表すことの問題点をふまえ、今後どのように改善していく予定かをまとめ、拙文の締めとさせていただきます。

  • 読み手が特別な計らいを入れる必要なく理解できるものを書く
  • 理解の為に前提となる知識を講座内に示す(必要がなければ専門用語を用いず、より判りやすい表現を用いる、ただでさえ麻雀用語は人によって解釈が様々だったりするので)
  • 前提となる知識がなくとも、できるだけ明確な基準を設けることで、打牌選択の再現自体はできるようにする(理由は後々学ぶやり方でもいい)
  • 実戦で理論を再現しやすいように、技術の体系化、打牌選択のフローチャートを作成を行い、どのような技術をどこで用いればよいかを明確にする
  • 従来の戦術の修正、新たな戦術の発見があれば随時対処する(フローチャートが作成されれば、訂正、追記も楽に行える。これは一度出版するとそのまま残る戦術本にはない強みである。まさに、常時進化し続ける戦術論である)
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