自力と他力

mixiの何切るコミュで出題された問題
【麻雀】何を切る? 「リーチ判断

東3局 西家 6巡目 ドラ(5)
一一一五六七(1)(2)(3)(5)5678

私の回答:8リーチ
愚形5,200点>良形1,300点 ドラ待ちは和了率が下がるが優劣が逆転するほどではない。(ドラ単リーチに勝る)手変わりを待てる程手変わりが多くないのでダマテンや打一は劣る。

良形安手と愚形高手の比較、ドラ待ちの是非、手変わりを待つかどうかがこの問題のポイントですが、全て『科学する麻雀』を読めば優劣が判る問題です。

しかしコミュニティ内では圧倒的多数が打8ダマ。次いで打一。リーチ派は打8(5)共に少数派でした。

「リーチして追っかけられると困るので、ダマにして状況によっては降りる選択肢も残す。」
「ダマにするが、状況によってはドラ単騎でリーチする。」
「打一としてクイタン移行も視野に入れる。」

非リーチ派の手変わり以外の理由は上記のようなものがありました。

確かに、リーチしない場合は、その後の選択は打ち手の意思に委ねられるので、厳密な期待値を求めることはできません。その後の打ち回しによっては、リーチしない方がリーチより期待値を上回る手牌もあるでしょう。状況によって打ち方を変える選択を理にかなっているとして賞賛し、リーチする選択を思考停止として批判する声も数多くありました。

さてこの手牌、本当にダマや打一がその後の打ち回しによってドラ単リーチより期待値が上回るようにできるのでしょうか。少なくとも私には無理です。何故なら仮にダマにしてても次巡ほぼ必ずリーチを打つからです(笑)。 一巡回してリーチが即リーチより不利なことは最早言うまでもありません。

それではどのような打ち回しができれば有利になり得るでしょうか。ドラ単騎が極めてあがりやすいと読めたらリーチでしょうか。仮にそれができたとしても、ドラ単騎が極めてあがりやすくなる場況の変化がそう起こるとは思えません。そもそもリーチする巡目が遅くなれば遅くなるほど和了率が下がるのが普通なのです。他家のテンパイにオリる選択によって有利になるでしょうか。これも怪しい牌を引いたらオリる程度ではいけません。例え他家のテンパイが入ったところでオリがはっきり有利になる手でもないのです。オリる選択肢をリーチしない根拠にするには、少なくとも相当高い精度で当たり牌のみを止めなくてはなりません。それが出来るのならよいでしょう。しかし、ダマと回答した打ち手の大半がそのような打ち回しができることは到底あり得ないと私は確信します。

麻雀に限らず、自分の力で考える、判断することを尊ぶ風潮があります。しかし思い返して見てください。迷うような場面で私達が「自力」で考えて理解できたり、「自力」で判断してうまくいった試しがあったかを。そうそう無かった筈です。(うまくいったことが遥かに多いというのであれば、どうぞ御自由に今まで通りやって下さい。)

「自分の判断であれば失敗しても後悔しない」という発言もよく聞かれます。勝つことではなく後悔しないこと自体が目的ならそれでも良いでしょう。しかし勝つのが目的であれば、「自力」で考えることよりもまず、実力がある信頼のおける打ち手や戦術論という「他力」(本来他力とは仏様のはたらきのことですが、ここでは文字通り他者の力の意味で用います)をたのむべきです。『科学する麻雀』の内容に従えばドラ単リーチ優位となりました。掲示板に書き込みした天鳳鳳凰卓の打ち手は全員ドラ単リーチと答えました。確かに毎回実力者の回答が正しいとは言えず、行き過ぎは権威主義にもなりかねませんが、それでも、「自力」で考えるより遥かにマシなのです。

実戦では、「選択肢を残す」メリットを重視してダマを多用するのが自力の打ち方。「ツモ山」をあてにしてリーチを多用するのが他力の打ち方と言えます。場況というシステム化しにくい要素を重視するかという観点からみれば、前者はアナログ、後者はデジタルとも言えます。

ツモ山をあてにすると書くと、「ツモれるように願を掛ける」というオカルトと思われがちですがそうではありません。自分の計らいを入れるくらいなら、自力の心を捨てて後は結果をただ待つ方が有利であると信じるということです。「アカギ」では「リーチは天才を凡夫にする」という言葉が出てきますが、実際は、「凡夫でもリーチがあれば何とか戦える」の方がより真実を反映していると言えるのではないでしょうか。

inserted by FC2 system