第三章 「プロ意識」

雀Key会は雀荘「鍵の音」の常連で構成される団体である。普段はただ皆でわいわい麻雀を打っているだけの集まりである。店に顔を出す時間帯もメンバーそれぞれの事情からまちまちであるので、雀荘に行ってもメンバーと顔を合わさない日もある。だが、比較的多くのメンバーが来た日は、雀荘で打った後飯が食える場所に集まることにしている。そこで対局の検討会を行ったり、麻雀談義やとりとめもない話に花を咲かせる。

今日集まったのは近所の居酒屋。メンバーは、T、どら自慢、天野の四人である。どらは大胆な喰い仕掛けを得意とする豪快な打ち手、天野はどちらかというと門前派で守備型の麻雀を打つ。雀風こそ違えど両者ともなかなかの強豪である。で、Tは御存知の通り優柔不断な麻雀を打つ。今日のセットも当然の如くTの一人負け。おかげで心置きなくうまい飯にありつける。…ああ、焼鳥んまい。やっぱり焼鳥はねぎまに限る。ちなみに私は酒を飲まない主義の烏龍茶党である。雀荘で飲めば只じゃんという無粋な突っ込みは無用である。

「…今日は、是非話しておきたいことがあります。」

注文の品が届いてから、最初に口を割ったのは天野であった。天野は普段から寡黙な人間なので、こういうことは珍しい。しかも、明らかにこれから重大な話をするという口調だ。自然と皆箸の手を止め、天野の話に耳を傾ける。否、耳は傾けていても箸を休めない奴が約一人居た。…んむ、ぼんじりの唐揚げんまい。軟骨の唐揚げもいいけどこの店に来た時はやっぱりこれは外せないな。…私である。

「まず、とある本に書かれていた何切る問題を出題します。状況設定は特にありません。」

六七九(6)(7)(7)(8)(9)666789 ドラ北

T「んー。789の三色があるから6かなあ。」

私「お前はやっぱり下手だなあ。雀Key会格言「鯛焼きはアンコに限る」を忘れたのか。これは九6アンコがあるから聴牌チャンスが全然違う。大体、三色は678でいいだろ。」

ど「これ本の問題ってことは赤無しだろ。なら六も面白い。これで789三色はほぼ確定する。平和のみよりはカンチャンでも三色が良いし、場合によっては喰い仕掛けもある。」

「ええ、六九かと言ったところでしょう。ですが、私はどちらが優れているかを問題にしているのではありません。著書の中ではAさんが6を選択、著者のプロ、Mr麻雀こと小島の武ちゃん六切りを選択しています。」

私「武ちゃんらしいな。」

「然し、まず打牌候補として挙がる筈の九については、何の言及もなかったのです。」

「?」

確かにそれは不思議だ。だが、まだ天野が何を問題にしているのかはよく判らずにいた。

「では、次の問題です。別の本からの出題です。」

三四五五(3)(4)23445678 ドラ北

T「三色の両天秤で4かなあ。」

私「それも悪くないが、これは五。雀Key会格言「連続形含みは雀頭を柔軟に」。やはり聴牌チャンスが違う」

ど「状況無しなら五だな。親だったりドラが1枚でもあれば尚更だ。」

「今度も、正着が何かを問題にしているのではありません。著者の麻雀ライター某タミーラ 氏はまず五を挙げました。これは問題ありません。然し何と、三四落しも一つの手筋と書いているのです。」

私「何だそりゃ。麻雀知っていたらそんなの思いつきもしないぞ。」

「これでは終わりません。最終的に著者が勧めているのは7切りなのです。」

私「7って、単純に4の下位互換じゃないか。」

ど「8の下位互換でさえあるぞ、ということは勿論。」

「ええ、4については一切言及がありません。」

T「んー、よく判らないけど、つまりはプロがわざと損な選択をしているというのかな。でも、プロは勝つだけじゃなくて、技や顔を売っていくのも仕事だから、低確率の高目を狙うことこそロマンであると読者に思わせることも必要なんじゃないかな。」

「プロは勝つだけでなく魅せる麻雀を打つべき。確かに一理あります。ですが、彼らの打牌選択が、果たして本当に魅せる打ち筋といえるでしょうか?高目を追求するつもりであるなら、最初の打牌は九切りです。そして、六七八(6)(6)(7)(7)(8)66678 このような最終形を目指すのがロマンと言えるのではないでしょうか。同様に、二番目の問題も、打4で問題ない筈です。」

なるほどもっともだ。麻雀の華といえばタンピン三色。その可能性を否定する一打が魅せるとは言い難い。…もぐもぐ。もつ鍋んまい。もつだけじゃなくて野菜もいい。某どろり濃厚豚骨醤油ラーメンではないが、もやしとキャベツとニンニクの組み合わせの汎用性の高さは異常だ。麻雀で言えばメンタンピンと言ったところか。は、話はちゃんと聞いてるぞ。

「では、もう一問。今度も別の著書からです。」

四四五五六六(1)(1)(4)34566 ドラ(3)

T「打3で三色と二盃口の両天秤かあ。」

私「ロマン打法だな、二盃口よりか三面張重視の6。手変わりは(2)(3)(5)(6)2457。雀Key会格言「手変わりは7種以上が目安」だ。」

ど「俺は即リー。確かに手変わりは多いが、もう良い待ちだからこれは即リーでいい。」

「著者は牌流定石で知られる、最高位のK子プロです。プロはまず即リーは勿体ないと述べています。次に3に言及していますが、最終的なプロの選択は打(1)です。」

私「(1)?どんだけ手変わりが少ないんだよw」

T「ロマンな筈の三色も捨ててる・・・。」

ど「例の如く、打6には何の言及もないんだな。」

「ええ。もうお気づきでしょうが、この三問には非常に酷似した点がいくつもあります。プロの打牌が実利的な意味で最善とはいえないというのが一点。ロマンを追求するという意味でも最善でないというのが一点。そして、言及されるべき打牌が無視されており、代わりに絶対にあり得ないような打牌について言及されていると言う点です。更に、言及されてない打牌について、非常に奇妙な共通点があります。」

T「六九4736・・・ああ!」

「そうです。言及されてない打牌は、言及されているある打牌のスジに当たります。」

…なんということだ。偶然にしては余りにも出来過ぎている。

「これが見落としな筈がありません。アイスのバニラ味があることに気づいているのに、隣に書かれたチョコ味に全く気づかないようなものです。そんなことがありうるでしょうか。」

うんうん、ないない。でもアイスはバニラが一番(←まだ食ってる)

「つまりこういうことです。プロは強い打ち筋を見せて実力を誇示しようともしなければ、ロマンを追及して麻雀ファンを魅了しようともしてないのです。ただ、ファンを欺こうとしているのです。」

「な、なんだってー!?」

「欺く意図はよく判りません。恐らく、強いアマチュアや人を魅了する打牌ができるアマチュアの出現を防ごうとしているのです。自分たちの仕事の種を易々と知られてはなるまいと、ですが、このようにその欺き方も実に稚拙なものです。一番悲劇的なのは、否、寧ろ滑稽だから喜劇的とでも言うのでしょうか、そのプロ達が本当は隠すような実力も魅力も持ち合わせてなどいないということです。そのような連中がプロを名乗っている。そんな酷なことはないでしょう…」

プロは大して強くないことは会長からよく聞かされている。然し、強くないことよりももっと大きな問題が存在していたとは。天野の冷静で的確な分析に恐れ入るばかりである。

「私達のような無名の一介のアマチュアに、どれ程の事ができるかは判りません。ですが、せめて私達だけでも、真のプロ意識を持って活動し、現在の麻雀界を抜本的に改革していかねばならないのではないでしょうか!…長くなりましたが、これが私の話したかったことです。」

天野はやっと話を終えて、飲みかけのビールに手をつけた。ビールはもうすっかり気が抜けている。天野がこんなに熱く語るのを、私は今まで見たことがない。

ど「俺はどうせ麻雀でしかやっていけない麻雀狂いだからな。その話は大乗りだ。」

T「僕になにか出来ることがあったら、協力する。」

私「実に面白そうじゃないか、くだらないことに如何に情熱を注げるか、それが人生で最も重要。こんなくだらなくて、情熱のかけがいのある話もない。」

…こうして、雀Key会は新たな道を歩み始めたのであった。

 

※この物語は全くのフィクションですが、著書に書かれてある内容は全て事実です。

inserted by FC2 system