第六章 「対子場」

「…悪い悪い。ちと取り乱してしまった。ところでこの問題、お前なら何を切る?」

私は真琴に聞いてみることにした。

「んー、(6)!」

「やっぱり真琴は七対子狙いか。ところで七対子を狙うとして、(6)を切るのは何故かな。」

「マンズが安いし、あと六六七と持ってるから、何となく七引けそうなの。」

「それ、対子理論って奴だな。」

「うん、きっと対子マスターなら(6)切ると思うの。」

…ちなみにその対子マスターこと土田浩翔が選んだのは打七である。氏曰く、捨て牌に頼らず、山を読まずという持論の為とのことだ。驚いた、対子マスターは山など読んでいないというのだ。初耳である。読むのではなく感じろということなのだろうか。ただ、(6)(7)もそんなに重なりやすいわけではないそうだ。なら別に七残しても良くねと突込みが入りそうだが、深遠なる対子世界にはそのような屁理屈は野暮というものなのだろうか。

「あうう。つっちーは言ってることが無茶苦茶よ!」

「まあつっちーはいつもこんな感じだから、真面目に受け取ることはないさ」

ちなみに私は順子手好きの対子手嫌い。妹とは真逆である。今日も七対子の単騎選択ミスを何回もやらかした。麻雀を打っていて、これほど苛々させられることもない。

だが、七対子が麻雀の中で重要な存在であることも事実である。七対子が強いのは、裏ドラが乗ったときは必ず2枚単位で乗ることや、単騎待ちなので自在に待ちを変化させて直撃が狙える等もあるが、何といっても一番はどんな手からでも和了できる可能性があるというこだ。どんな配牌も七対子の6シャンテン以下なので、子であれば常に一段目でリーチが打てる可能性があるということである。

昔某麻雀ゲームソフトでどうしてもCPUに勝てない時に使った手口がある。このゲーム、対局を途中中断すると中断した局の配牌の時点から再開される。つまり、ツモ牌を予め判った状態で再びプレイすることができるのだ。この状態における七対子はすこぶる強い、捨て牌と合わせて対子が7組できることは日常茶飯事であるので、ツモ牌がわからなければ誰にも和了できない手からリーチ一発ツモ七対子を易々とアガることが可能なのである。まさに神の領域である。

順子手の手作りの差というのは、ある程度のレベルまでくると然程変わらなくなる。だが対子手は手作りするうえでのヒントが少ないため、他の打ち手との差を圧倒的につけることも理論上可能であるということだ。神の領域は不可能であるとしても、実力を向上させる余地がまだいくらでもあるのは間違いない。…そう考えたら私も対子理論を学びたくなってきた。どうせオカルトじみたものだから余りアテにはならないだろうが、ほぼ七対一択の手や、面子手の和了が非常に困難な手、跳満ツモ条件で可能性がリーヅモ七対子ドラドラくらいしか見当たらない場合に対子理論を用いるのであれば、用いたからといって戦績が下がるということもないだろう。よし、ダメもとで試してみるとするか。

「そういや真琴、対子理論について書かれた本を何か持ってたよな」

「うん、漫画だったら何冊かある」

「ちょっと貸してくれないか。まあネタ作りの為さ」

「うん、じゃあ持ってくる」

そう言って真琴は自分の部屋から何冊か本を持ってきた。さて、読んでみるとしよう、果たして対子理論とはどのようなものであろうか。

…何何、変なおっさんが、七対子こそ麻雀の本質だと言っているぞ。一つの手役が麻雀の本質というのも奇妙な話であるが、その辺は言葉のアヤというもの、ちょっとカッコイイから本質と使ってみたというとこだろうから置いておこう。読み進めてみる。ふむふむ、タンヤオに使える牌は21種84枚である。チャンタに使える牌は25種100枚である。(どうせ4倍なんだから何種何枚書かんでええやんというのも敢えて突っ込むまい。)一方七対子は34種136枚全ての牌を使うことができる。これが七対子が麻雀の本質である理由だそうだ。何となく納得した気がしないでもない。(待て、その理屈が正しいなら三カンツも麻雀の本質になるぞ。

…何か早くも折れそうになってきているが、挫けずに読み進めていくことにする。「だから対子場を制するものが麻雀を制するのである」…何か話が思いっきり飛躍している気がするが、ここはスルーするのが大人ってものだろう。対子場とは何ぞや。それは字の如く対子が出来やすい場のことである。これは言われなくても判る。では、どんな時に対子場と判断すれば良いのだろうか。

対子場を見極める方法、これは別の本に乗っていた。序盤で被った対子が2、3種以上あれば対子場とみなすべきと書いてある。残りの山に他の牌が多く残っている為に対子になりやすいからだそうだ。これは判らなくもない。極端な例を考えれば判り易い。麻雀牌が仮にA牌とB牌の2種しかなく、Aが河に大量に並べられたとするなら、必然的にBが固まって山にあることになるので、Bを連続して引きやすくなるわけだ。対子場を見極める方法としてもう一つ挙げられていたのは、2233のような連対子、2244のような飛び対子、2255のような筋対子の存在である。このような対子が固まっていると、必然的に順子が出来にくくなるので、対子場になるらしい。これもまあ判る。…おや?ここで一つ疑問が湧いてきた。

「なあ真琴」

「何お兄ちゃん?」

「ここの対子理論の内容についてなんだが、これ、順子ができにくい対子場だから、連対子とかが出来やすいと、逆の解釈をしても問題ないよな?」

「うん。さっき六六七とあったら七が重なりそうと考えたんだから、大丈夫だと思うの」

…成る程、と、いうことはこの対子理論が仮に正しいとした場合、次のようなことが予測される。

「じゃあ、序盤の被り対子が多数見受けられたので、対子場だと判断できたとする。そして、手の内には5の対子がある。こう仮定しよう」

「うん、それで?」

私は話を続けた。

「連対子が出来やすいことより、4と6は対子になりやすい」

「次に飛び対子が出来やすいことより、3と7も対子になりやすい」

「更に筋対子が出来やすいことにより、2と8も対子になりやすい」

「そして最後に、雀鬼会のショーちゃんの本によると、1と9は準対子牌(字牌が対子牌)なので、対子場のときは対子になりやすい」

「……」「……」

「同じ色の牌全部じゃねえかぁぁぁぁぁぁ!」

「いや待て、つまりこれはこういうことだ、同色の牌全て引きやすくなる、故に対子場は一色場でもあったのだ!おおこれは世紀の大発見だ!早速麻雀学会に報告だ!」

「…そんな学会、初めて聞いたよ。。」

「さっきの牌姿ならこういうことが言える。445567788。ここに注目。なんと連対子が44557788で2種、飛び対子が5577の1種、筋対子が44775588の2種。なんと計5種も対子場シグナルが存在している。まさに超対子場!先ほどの理論から対子場は一色場でもある。つまりこの手、ここからソーズをバリバリ引いてくるに違いない。6なんか今にも引きそうだ!これぞ対子システム!」

「故にこの手はうまくいけばここまで伸びる! 22334455667788 ソーズだから大車輪ではなく大竹林だ! 何、そんなローカル役満認められてないと。じゃあメンチンタンピン二盃口ドラドラ…あ、それでも役満だ!対子王国へようこそ!」

脱衣麻雀じゃないんだからそんなに引くわけないじゃん。。」

「お、真琴も脱衣麻雀やるのか?」

「そんなのやるわけないでしょ!」

「やってみると面白いぞ、デフォで一色場と対子場仕様だから興奮するんだ。」

「やれない!やらない!やれるかあ!11111」(三段活用)

おっといけない、少し暴走してしまったようだ、でもこうやって真琴をからかうのは楽しい。持つべきものは可愛い妹である。ゴホゴホ、け、決して私はシスコンでもシステム厨でもないぞ、システマチックな麻雀打ちだぞ。

「だけどさ、もしこんな対子システムが実際にあったらいいと思わないか。システム駆使して連戦連勝、ド派手な役アガリまくって優勝。ギャラリーから拍手喝采。ギャラも一杯一杯。麻雀プロの地位赤丸急上昇ってわけだ。」

「それはそうかもね。でも真琴は可愛くて麻雀強いから、人気女流プロとして大活躍してお金一杯貰うもん。お兄ちゃんみたいなニート予備軍とは違うのよぅ。」

「あ、言ったな。コラ、待て!」

…こんなくだらない兄妹喧嘩ができるのも幸せなことかもしれない。結局、人間は神にはなれないのだ。出来ることといえば、精々他家の河から山に残ってそうな牌を予測して重なりを狙う地道な作業だ。当たるも八卦当たらぬも八卦。山読みの精度が向上したかを確認するには、長いスパンで見た戦績から推測するより他ないが、それですら不確かだ。あとは、気紛れな麻雀の神様に願掛けをするくらいだろう。

単騎選択で失敗しませんように。そして裏ドラが2枚のりますように。今日も対子王国の歌を歌う。

「交渉〜高尚〜考証口承工商♪ 公称〜鉱床〜厚相哄笑行賞♪」

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