第七章 「ルール」

雀Key会は雀荘「鍵の音」を拠点とする麻雀狂いの集団である。と言っても麻雀ばかりしているわけではなく、たまには他のゲームもやる。麻雀に限らず連中と遊んでいるのは実に楽しい。それは彼らがただ面白い奴等だからというだけではない。雀Key会の掟「何事もまず第一に楽しむことが大事である。そしてその為には、合理的なルールの整備が必須である」これを全員が深く認識しているからでもある。

は小さいころ、友達と遊ぶということを滅多にしなかった。理由は簡単、一人でTVゲームでもしている方がよっぽど楽しかったからである。「ゲームばかりしないで外で友達と一緒に遊びなさい」と大人達が何度言っても聞く耳を持つ気にもならなかった。

TVゲームはプログラム上で厳密なルールが定められていて、裏技でも使わない限り、何人たりともそのルールを破ることができない。だからこそゲームは面白くできているのだ。裏技を使うと大抵の場合ゲームバランスが著しく崩れてしまい、実につまらないことになってしまう。

彼らは合理的なルールを整備することを面倒くさがって決してやろうとしない。その結果彼らのやる遊びというのは極めてゲーム性が低くて退屈であったり、ルール無用の理不尽なものであったり、ルールの隙を突くことで簡単にゲームバランスが崩壊するものであったのだ。

例えば三目並べ。3×3の升目に○と×を交互に書いていって、縦横斜めいずれか一列に○か×を並べれば勝ちというものである。一度はやったことのある人も多いのではないだろうか。実はこれ、少し考えればすぐに気がつくことであるが、互いに最善を尽くせば必ず引き分けになる。実に底が浅くてつまらない。ではどうすれば面白くなるか。何のことはない。普通の五目並べをすればいいだけである。一段目以外は下に○か×がないと○×を置くことができない通称重力四目並べもなかなか面白い。

…だが恐るべきことに、このものの数分で結論が出てしまう退屈な遊びは、何度となく何年も続けられるのであった。。

例えばすごろく。そもそもすごろくは完全に運の要素しかない(バックギャモンは別)のでゲーム性も何もあったものではないが、それは置いておこう。私がたまたまついていて6を連続して出したりすると、ずるいから振り直せと言ってきたりする。彼らは6が連続して出ることより、自分たちの都合の良いように勝手にルールを捻じ曲げることのほうが遥かに理不尽であることに気付かない。

このようなことは室内競技に留まらない。小学校の体育の授業。小学校時代にやるスポーツはルールを厳格に適用しない。誰が見てもはっきりわかる基本的な反則をとるくらいである。

サッカーをやっていてふと思った。これって相手のゴールの前で待ち伏せしていてら来たボールを即シュートできて強くね?これで僕もハットトリック王だ!やったね!

…勿論そんなわけもなく、サッカーにはオフサイドというルールが存在することを、中学の体育の授業で学ぶことになる。

バスケをやっていてふと思った。これって一旦リードしたら仲間内でボール回していれば強くね?これで僕も未来のマイケル=ジョーダンだ!やったね!

…勿論そんなわけもなく、バスケには3秒ルール、5秒ルール、8秒ルール、24秒ルール等が存在することを(ry

このように、皆で何かをして遊ぶことのつまらなさに日々感じていたのであるが、それを更に決定付けてしまう出来事が起こる。それは運動会の日のことであった。

小学校の運動会は1〜4組がそれぞれの4組に分かれて競い合う。最後の競技は騎馬戦。まだどの組にも優勝の目が残っており、事実上騎馬戦を制した組が優勝の栄冠を勝ち取ることとなる。

騎馬戦は4組同時に行う、残った騎馬の数が多い組が勝ちとなるが、副団長は2点、団長は3点扱いとなる。自分は赤組。団結心など欠片も持ち合わせていなかったが、それでも自分の組が勝ったほうが良いに決まっている。せめて自分の騎馬だけは生き残れるよう全力を尽くそうとこの時ばかりは思った。

…然し試合開始直後、私は自分の組の負けを確信することになる。あろうことか自分の組の団長が自ら青組の団長目がけて突っ込んでいったのだ。青組の団長は学年で一番体が大きく力も強い。まともにぶつかり合っては勝ち目がない。例え勝算があったとしても、団長自ら突進していくのは賢明ではない。1点の騎馬団で集中攻撃すれば、青組の団長とて一筋縄ではいかないだろうし、こちらの被害も少なくて済むのである。案の定、返り討ちにあって倒された。私はすっかり戦意を喪失してしまい、次に我に返ったときには自分達の騎馬もやられていた。

だが勝負に勝ったのは、団長同士の直接対決を制した青組ではなかった。普段なら気付いていただろうが、運動会など正直どうでもいいと投げやりだった私はそもそも考える由も無かった…この騎馬戦というゲームが抱える致命的な構造的欠陥を!

勝者は黄色組。黄色組は団長含めほとんどの騎馬が生き残っていた。一体何をしたというのだ…何のことはない、彼らは何もしていない。ただ他の三つの組がそれぞれ潰しあうのを傍観していただけであった。四組いるから敵の数は三倍である。向かっていけばやられる公算の方が高い。しかも相手を一体倒すのと自分達が倒されることとが等価でない。他の三組の騎馬をそれぞれ一体ずつ倒してやっと釣り合うのだ。つまり、攻撃に回るより守備に回ったほうが明らかに有利なルールだったのである。二組ずつ競い合うトーナメント形式にするか、相手の騎馬を倒して奪った帽子を加点するルールにでもすれば良かった。実際、三組以上が一斉にやる騎馬戦など、私は他に知らない。

勝ち負けを競うゲームは何でも、攻撃と守備のバランスが取れて初めて面白いものとなる。上に挙げたルールがなければ、サッカーは攻撃側が余りに有利になり、バスケは守備側が圧倒的に有利になる。異常に強い攻撃手段がある場合はそればかりやっていればよくなるのでゲームがつまらなくなるし、守備側が圧倒的に有利であれば、自分からは何もしないのが最適戦略になり、互いに何もしなくなるのでゲーム自体が成り立たなくなってしまう。麻雀は先攻した方が圧倒的に強いゲームではあるが、ランダム要素がある為、毎回先攻できるわけではなく、毎回同じ手段で攻撃できるわけではない。そして先攻されたときに如何に失点を最小限に抑えるかという技術もある。このようなゲーム性故に、麻雀も攻撃と守備のバランスが取れたゲームであると言えるのだ。

…結局優勝の栄冠を勝ち取ったのは黄色組で、赤組はドベであった。これだけなら別によかった。問題はその後のクラス内での会話だった。

「負けたのは悔しいけど、皆頑張ったから仕方ない」 そんな凡庸な発言を先生も含め誰もが繰り返す。…いい加減飽きた、そんな言葉は聞きたくない。そしてそのうち、黄色組はずるい、卑怯だなどと言う輩も出てくる。…何が卑怯なものか。お前らはルールを利用する頭も持ち合わせていなければ、いざとなったら自分の都合のいいようにルールを変えてしまう愚昧な人間だろうが!

…それ以来、ただでさえ少なかった人との交流は無くなった。私は当時通っていた塾の勉強に専念することにした。地元の学校に進学することだけは、何よりも避けねばならなかったからだ。

それから数年、一応世間では名門と呼ばれる大学に進学したは良かったが、特にやりたいことも見つからず暇な学生生活を送っていた頃、同輩の天野から、自分がメンバーをやっている雀荘に遊びにこないかと誘われた。当時雀荘はセットでたまに行くくらいだった私の中での雀荘のイメージは、マナーの悪い親父がいるうえに、とっつきにくいややこしい決まりごとがたくさんあって一見の人間が入りづらい所というものであった。

「鍵の音」は、そんな私の抱いていた雀荘への悪いイメージを一新させてくれた。初心者でも安心なアットホームな環境である一方、先ヅモ、三味線等の行為は禁止とはっきり明示されていた。メンバーの打牌制限も特に無かった。「トラブルの元となるややこしいルールは不要、ルールは楽しむ為のもの。それがうちのモットー。いつも会長がおっしゃいます」 そんなことを天野が話していた。

…私はここが本当に好きになった。ここが私の居場所だ。

 

雀Key会語録「ルールは縛られる為にあるのではない。楽しむ為にあるのだ。」

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