牌効率についてまず押さえておくべき原則について。
ここでの牌効率とは、局辺り収支期待値の最大化を目指す打牌選択の技術のうち、他家からの明示的な攻撃を考慮しないものについて指す。(攻撃に対しどう対処するかを判断するのが押し引きの技術であり、攻撃に対処した打牌選択の技術が、絞りや回し打ちやベタオリ技術である。)
局辺り収支期待値は、(和了率)×(打点)+(非和了時の収支 ※流局テンパイの場合を除き全て0以下の値を取る)で表せる。
よって、打点上昇、非和了時の支出を減少させる場合を除き、和了率が最大になるように打つべき。(高打点の受けを増やすために全体の受けを減らすのは可だが、単に低打点を拒否する為に全体の受けを減らすような、”手牌のある牌に対する下位互換に相当する牌”を敢えて残すようなことは不可。)
例:
役牌重ねやピンズ引きでホンイツが見込めるので字牌を切らずにと落とすのは良い(平場序盤ならこうすべき)が、・を引くと安手になるからといって敢えてを先に落とすようなことはすべきでない。
選択の余地があるということは、メリットにこそなれ、デメリットには成り得ない。
選択の機会があれば、その時に一番良い手を選択すればいいのである。選択の余地があって迷う故に誤った選択をすることも有り得るが。それは結果論であるか、単に打ち手の技量が不足しているかのどちらかである。また、その時に一番良い手を選択するようにすれば良いのだから、一貫性という概念自体も不要である。(”一貫性”が必要なのは、この状況でもAという選択を取るのだから、よりAという選択が有効である場合は尚のことAを選択すべきであるというように、この状況であれば一貫してAを選択するという、”打牌基準”に対してである。状況が変われば打牌選択は変わり得る。)
ただ、選択の余地があること自体は大したメリットではないことも事実。何故なら、どちらを選択しても大差ない、あるいは、ほとんどのケースで一方を選択した方が有利であれば選択の余地があるメリットは薄く、実際そのようなケースが大半だからである。他により収支に影響するメリットがあるのであればそちらを優先するべき。
例:
123三色を狙うとすればか落とし。ここで、打とするとツモの時に迷うからと言って他の牌から切るのは誤り。ただ、ツモの場合はほぼ打とするので選択の余地があるということ自体のメリットは薄い。(受けが広がり234の三色も狙えるという方がメリットとして重要。)
例:ターツオーバーの状態は面子候補の選択の余地を残せるというメリットはあるが、基本的にターツオーバーは嫌うべき。
牌Aと牌Bをどちらを切るか選択する際、それぞれの牌に対する有効牌について考える。ある牌に対する有効牌とは、その有効牌を引いたときに、ある牌とは別の牌が切り出されるような牌のことである。故に、一見有効牌に見えても、結局そのある牌を切り出すことになる場合は有効牌ではない。
例:孤立に対する、は部分的には有効牌だが、既に上位互換に相当するブロック(面子やリャンメンターツ)が4つ以上存在すれば結局切ることになるので有効牌ではない。
例:テンパイするが手変わりを待った方がよくなるような牌は有効牌とはいえない。
有効牌には様々な性質のものがある。(ターツができる、面子ができる、ターツがより良いターツになる等。)
同様の性質を持つものに関しては部分的に比較できるが、性質の違うものを一元的に比較することはできない(これらを比較する際はまた別の方法が必要となる)。
但し、上記の有効牌の中で、シャンテン数を下げるものとそうでないものとは明確な区別があり、シャンテン数を下げる有効牌に関して優れる選択を原則優先すべき。(受け入れが何枚という場合の”受け入れ”とは、通常シャンテン数が下がる場合のことを指す。一方、シャンテン数が変わらない場合は通常”変化”と呼ばれる。ここでもそのように表記する。)
例: →打
裏目の引きでも打としてより手広くなるという理由で打とするのが正着(打とシャンテン数を下げる有効牌に関して差がない為)であるが、裏目の引きでもタンピン三色が見えるからといって打とするのは誤打。(イッツーがあるのでシャンテン数を下げる有効牌に関して明確な差がある。)
打牌選択の優劣を比較する基準となる要素は数多くある。(いずれも大まかに分ければ、面子、ターツの構成しやすさ、構成したときの強さ(待ちの良さ、打点)、手牌の守備力のどれかに該当する。)しかし様々な要素を考慮せねばならないことは少なく、実際には基準となる要素のうち特に重要なものについて断片的に考慮すれば大抵の場合は正着を一意的に定めることができる(この時点での比較で微妙である場合、改めてより重要度の低い要素について考慮すれば良い)。単に比較基準を列挙することは誤打につながる。(上記の手牌から打とするのが好例。単に比較基準を列挙しただけでは、中途半端とバランスが取れているの区別がつかない。)
上で述べた、基準となる要素の中で特に重要なものだけを考慮すれば事足りるということとも共通するが、基本的に手作りにおいて、親か子か、あるいは子で何家なのかという要素は、一般に言われるほど重要ではない。親なら速度重視とはよく言われ、この言葉自体は事実である。しかし、これは打点が子の1.5倍だからというわけではなく、(打点が単に1.5倍になるだけなら和了率重視にしても収支期待値自体は変わらない)連荘と被ツモ時の失点が2倍になるという要素の為である。
この要素、押し引きの段階においては重要になる。何故なら、押すか引くかで連荘できる可能性、被ツモの可能性に大きく差がつくので、収支期待値に与える影響も大きくなるからである。一方、手作り(特に序盤)の段階であれば、若干速度重視よりの選択をしたところで上記の要素が収支期待値に与える影響は相対的に小さい。それならば、親か子かは考慮せずとも、単に手牌の中だけで打牌選択を比較すれば大抵は事足りるというわけである。南家か北家かの差についてはもうほとんど差がないようなものである。
北家は(鳴くと親のツモが増えるから)鳴くなという古い格言が存在するが、親のツモを1回増やすことによる親のツモ和了率の上昇と被ツモされた場合の失点が1.5倍となることの収支に与える影響は如何ほどのものだろう。(しかもこれは他の子の和了率が下がることは考慮していない。)
但し、自分の風牌は他の字牌よりも残す。同じテンパイしている他家同士でも親にはハイテイを回さないように鳴くというような事はもちろんするべき。収支に与える影響自体は小さいが、これは他に優先すべき比較基準が存在しないからである。あくまで、収支に影響を与えやすい要素を重視せよということである。
局あたり収支期待値≠半荘あたり収支期待値であるから、点棒状況によってはより和了率重視(和了が難しそうなら守備重視)で打つ場合や打点重視で打つ場合もある。だが点棒状況も上記の親と子との差同様、まだ局数が十分に残っている(オーラスやラス前、既に親番の無いダンラス、トビ寸前の打ち手がいるというような場合ではない)のであればそこまで意識する必要は無い。麻雀のゲームの性質上、局数が十分残っている段階でトップ安泰と言える局面や、点棒が沈んでいるので安手で局を流すと却って苦しくなるという局面はそうそうない。
山から何を引きやすいか考えるとき、場にマンズが安いのでマンズが他家に持たれている可能性が低く、マンズを引く確率が高くなるというように考えるのは論理的に正しいが、マンズを引いたからマンズの勢いがあるから次もマンズを引くだろう、逆にマンズを引いたから均等になるように今度はピンズかソーズを引くだろうという考えは全くの誤り。色に関してだけでなく、数について、順子、トイツについても同様のことが言える。
1回のツモでシャンテン数を下げる牌(受け入れ牌)を引く確率pは、(山に残っている受け入れ牌)/(残り山の総数)で表され、受け入れ牌を引くまでにかかる平均巡目の近似値は1/pとなる。よって、受け入れ枚数1枚あたりの価値は、受け入れ枚数が少なければ少ない程高くなる。
即ち、孤立牌の観点からは、単純な受け入れ枚数より、ターツ化した時に受けが広くなるように打つべきであり、ターツの観点からは、愚形ターツが面子化しやすくなるように打つべきであり、全体的な観点からは、よりテンパイに近い段階における受け入れ枚数が多くなるように打つべきである。(テンパイに近づくほど有効牌の量は減る。)
例: →打()
からは打とするのが受け入れは多いが、リャンメンになりやすいよう打かが正着。
例:→打
例:ターツが5つ以上ある場合(ターツオーバー)は最も弱いターツを払う。
麻雀は点棒の多寡を競うゲームである。得点を競うタイプのゲームにおける戦略は大きく分けて二つ。自分が得点することと、相手の得点を妨害することである。麻雀にも両方の要素があるが、こと麻雀においては相手の得点を妨害する手段が限られている。放銃しないことが一つの有力な方法であるが、これでは相手のツモや他家からの出和了までは防ぐことができない。相手のツモや他家からの出和了を妨害する方法はただ一つ。そう、自分が先に和了するより他ならないのである。麻雀は自分が得点することが直接相手への妨害にもなるという性質を持つゲームなのである。故に、相手に先制され自分の和了が困難な為に放銃のリスクを最小限に抑えること(ベタオリ)が最も有力な状況にならないうちは基本的に和了に向かうべきである。その為に、(巷で表現されるような牌効率とは一線を画した)精度の高い牌効率の習得が必須となるのだ。