フーロの原則

麻雀には1翻縛りのルールがある為、仕掛けた場合は手役が必要になる為、手役関連も扱う。1翻縛りの存在もそうだが、メンゼン時とは選択が異なるケースも多々ある。メンゼン時と変わらない場合はこれまでの内容で事足りるので、メンゼン時とは異なるケースについて重点的に述べる。

  • 麻雀の手牌の大半は、”できることなら”鳴きたい手である。

まず鳴いても5,200点〜(点数は子のものとする)が見込めるような手はほぼ鳴くことになる。鳴いて3,900点であっても手広い上に巡目が浅い段階でなければ大抵は鳴いたほうが良い。では鳴いて1,000点や2,000点の安手で、メンゼンではそこそこ高い手になるような場合はどうか。

ドラ北
二三四六七七(4)(5)(8)(8)345 →中盤以降ポン聴・チー聴

メンゼンでは最高でメンタンピンが見込める6種20牌の1シャンテン(完全シャンテン)で、鳴くとリャンメンだが1,000点になってしまう場合であっても、8巡あたりからは仕掛けた方が良くなる。他家が仕掛けているなどしてテンパイが近いようであればより早い巡目で仕掛けることになる。(但し、一旦スルーしてもまだ仕掛ける権利は残り、メンゼンリーチでうまく和了できた場合は順位面で特に有利になることから(単純な局あたり収支期待値≠半荘あたり収支期待値)、8巡目あたりでテンパイに取れる牌が出たらスルーし、次に出たときは鳴くという手もある。)これぐらい、”出来ればメンゼンで仕上げたい”手であっても中盤以降はテンパイにとるべきという結論になるのであるから、よりメンゼン狙いの条件が悪い手(1シャンテンだが愚形残りであったり2シャンテン以前であれば、鳴いていける牌が出たらほぼ鳴いた方が良くなるのである。ただ、だからと言って何でも鳴けばいいというわけにはならない。まず鳴いた場合はリーチできない為、他に1役つけることになる。鳴くとこの1役が見込めない、あるいは見込めはするがあまりに不確定であるならば仕方なくメンゼンで進めることになる。メンゼンでテンパイするケースというのは鳴ける手をスルーして狙ってできる場合より、鳴ける手だが鳴く牌が出る前に、あるいはメンゼンで進めざるを得ない手で偶々運良くメンゼンでテンパイする場合の方が大半であることを認識すべきである。

  • 手役は打点を上げる為だけではなく、和了率を上げる為に重要である。

鳴いていく場合は最低1つは役が必要であり、手牌の多くはメンゼンでは遅いのでできれば鳴いていきたい手である故、どこかで(鳴いても)1役つくように手を作ることの重要性は高い。単純な受け入れよりも、テンパイに近い段階での受け入れが広くなるように打つことが牌効率の原則であった。メンゼン限定では自力ツモに頼るしかなかったのが、役を確定させることができれば以後は他家からのポンやチーでも面子を構成できるようになり、どこからでもできるポンは実質受け入れ4倍、上家からのみのチーは実質受け入れ2倍になる。(実際は他家にとっても自分の必要牌が必要なので切られないケースや絞られるケースがあるのでここまで実質の受け入れが増えるわけではないが、それでもメンゼン限定時よりも圧倒的に速くなるのは間違いない。)その為、序盤では単純なメンゼンにおける面子構成しやすさよりも、手役の目を残すように打つことが特に重要となる。序盤での受け入れが多少減っても、役が確保できた後の実質的な受け入れが大幅に増えるので、結果打点だけでなく和了率でも勝るというわけである。特に、メンゼンでの和了が難しい手であればあるほど手役狙いの重要性が増す。

  • どんな手役を狙うか、出た牌を鳴くかどうかの判断は、あくまで現在の自分の手牌、巡目、点棒状況から判断する。

もちろんできることなら高い手で和了するのが理想であるし、タンヤオや役牌に比べればイッツーやチャンタは出来辛く、難易度に見合うほど高い手ではないうえに鳴くと安くなるというのも事実である(赤有りであれば特に)。しかし麻雀は、理想形だけを追って手作りできるほど余裕があるケースはほとんど無く(最初のほうでも述べたが、麻雀は基本的にツモは17〜18回しかなく、最初に和了した人にしか得点が与えられないゲームである)、与えられた手牌とツモの中でやりくりしなければならないのである。効率のあまり良くない役を無理に追わないという意味で、赤有りルールではチャンタは狙わないというのであれば真であるが、チャンタ以外の手で和了するのが厳しいのであればそれを狙うより他ない。あくまで”和了できる手を和了する”べきなのである。

ドラ北
一三六八(2)(4)(7)(9)1379西西

このような手牌で、チャンタよりピンフやメンゼンリーチの方が統計的にできやすいからといってチャンタを狙わないと考えるのは誤り。寧ろこの手は現時点でターツが足りているチャンタ以外で(うまくいけば三色もあるが)和了することは厳しいだろう。また、多少点数が沈んでいるという理由や、2つも3つも鳴いて1,000点はつまらないという理由でメンゼンに固執するのも良くない。愚形ターツが複数残っているような手がメンゼンでテンパイする可能性は極めて低い。この手は二(8)28は即仕掛けるべき。この手をメンゼンで手作りするのは、オーラス5,200点でラス抜けのラス目等、ここで1,000点和了することによる順位上昇のメリットがほぼなく、尚且つ、他家に和了されることによる順位悪化のデメリットがほぼない場合に限られる。

  • 相手に手の内を読まれるデメリットについて考える必要はあまりない。

上に挙げた牌姿でもそうだが、鳴くと特定の手役狙いであることがばれることが鳴かない理由になることもあまりない。手役が確定している場合はどこかで仕掛けることになれば結局手役を絞られることになる。メンゼンでテンパイできるのであれば話は別だが、それはあくまで、メンゼンで間に合うかどうかで判断することなので、結局読まれるかどうかはほとんど関係しない。また、特にテンパイから遠い段階であれば、相手に警戒させることで相手の手作りを妨害するというメリットにも成り得る。

役牌バックのように、手役が不確定の仕掛けであれば、他の部分から仕掛ければ手役を絞られないというケースもあるので、読まれることを考える余地が出てくる。しかし、その部分を鳴いた為に役牌が絞られ、かつ自分がツモれず、かつその部分を仕掛けなければ役牌を鳴くことができたうえに鳴かなかったターツを後で面子にできるケースはそう多くはない(特に愚形ターツを鳴く場合は)。リャンメンのように面子化しやすいところからは鳴かないケースも多いが、それは読まれるからというよりは、後で述べるような面子候補不足のケースや、全体ではそこそこ早いので面子化しやすい部分はまだスルーするという理由の方が大きい。故に、読まれるという理由が仕掛けるかどうかの判断基準として考慮する状況はあまりない。

例:ドラ(4)
一三七七九(2)(4)(5)999中中 →二チー
読まれるかどうか以前に、巡目によらず二は鳴いておくべき。

  • 手役不確定の仕掛けは片和了の形(役無しの方をツモるとフリテンになる)になる可能性がある。

もちろんこれはデメリットなので、できるならば避ける、あるいはデメリットの度合いを低くするように打つべきである。

例:クイタンで仕掛けている場合は二三五から打二

例:四五六233345中中 チー曲(7)(6)(8) →打5
和了できない方を引く可能性を減らす。この場合は打2として6ツモでも打中としてクイタンに移行することはできるが、6が”引かないほうがいい”牌であることには変わらない)

ただ、読まれることと同様、片和了になり得る形から鳴かないのは、面子候補不足や、面子化しやすい部分はまだ鳴かないという理由によるところが大きく、片和了の可能性があることが仕掛けるかどうかの判断基準の主要な要素となることは多くない。

  • 牌効率論1でも述べたが、鳴くことで特定の他家のツモが増えることを考慮する必要はない。

ただ、自分のツモを飛ばしてしまうということは考慮することもある。確かに有効牌ではあるのだけど大した価値ではなく、他により良い有効牌が多くあるので、自力でより良い有効牌を引けることを期待してスルーというようにである。

  • 面子を構成する手段としての喰い仕掛けができることは、ターツを面子化させることだけである。

では、手役が確保できていて、メンゼンでは遅い手であれば手が進むのであれば何でも仕掛けていくべきなのであろうか。これも実はそうとは限らない。シャンテンは進むけれど、全体的には早くなっているとは言えない場合もある。

シャンテンを進める行為は、前にも挙げたように大きく分けると以下の3つである。

(1)孤立牌からターツを作る
(2)ターツから面子を作る
(3)孤立牌から雀頭を作る

このうち、鳴きによってできるのは(2)だけである。また、鳴くことによって有効牌は減ってしまうので、(1)や(3)については却って出来づらくなる。何度も出てくるが、テンパイに近い段階の手広さを重視するのが原則である。(1)や(3)が出来づらい手であれば手は進んでもテンパイに近い段階でのスピードで劣るため、早いテンパイが組みにくく、テンパイしても愚形が残りやすくなってしまう。また、ドラや手役の打点的手変わりの可能性が減るデメリットもある。

一方、(1)や(3)の行為を行う必要性の低い手、(単騎待ちが残ってもいい、あるいは一二三四のようなパーツがありに雀頭が無くても最低ノベタンには取れるのであれば(3)は後回しになっても良い)即ち面子候補が足りている手で、役が確定しているのであれば、基本的にどんどん仕掛けていって構わない。面子候補が足りている手とは、仕掛けだけでテンパイまで辿り着くことが出来る手と言い換えることもできる。この条件で鳴かないのは、まだメンゼンで進めても間に合う程早い手(もしくは、リャンメンのような面子化しやすい良形ターツの部分はスルーする全体ではそこそこ早い手)か、手が遅い上に中盤過ぎで、今から鳴いてもテンパイできる可能性が低く、かつ鳴くと守備面で難のある手に限られる。

面子候補が不足している場合でも、役牌トイツやネックとなる愚形ターツのような、(1)、(3)の行為を後回しにしても面子を確定させたい部分は鳴いた方が良い。(このような部分を、急所とも呼ぶ。)特に手役を確定させる仕掛けは、後々面子候補が整ってきた時に仕掛ける権利が残せるので、テンパイに近い段階での受け入れを重視するという原則にも合致している。また、一見苦しい仕掛けであっても、高い手を狙う場合や、不確定だが手役を確保するために仕掛けておきたいような場合(特に、メンゼンでは苦しく、鳴いても守備面で余り不利にならない時)であれば仕掛けることも十分にある。

  • メンゼンであっても、仕掛けて和了するケースが多い場合は、仕掛けたときの手牌の形が良くなることを優先して打つ。

良形役確定の1シャンテンであっても中盤以降は仕掛けたほうが良くなることから、仕掛けることを前提に打つことは多い。役牌のトイツがある場合に役牌を鳴いた場合に有利になるような打牌選択をしたり、(ポンテンが取れる、鳴いた時に待ちが良くなるようにする)仕掛けて一色手狙いが本線の場合に、他の色のターツを落として孤立字牌を残したりすることがそれにあたる。

例:七八九(2)(4)(6)112345白白 →打(2)
ポンテンと(r5)ツモと(7)引きを見て、白(1)なら打1。赤なしなら引っ掛け狙いで(6)が有力((7)引きでリャンメンになるより先にテンパイする可能性のほうが高いので)。

例:五五七七八八456789發發 →打八
六ツモでもリャンメンになる。發(1)なら打(1)

仕掛けた場合や仕掛けを念頭においた手作りに優れる打ち手は少ない。(もちろん私自身もまだまだである。)

それは、仕掛けや手役に関する誤った考え方が広まっている(しかも、その”誤った”考え方には実に様々なものがある)故であろう。手役を打点を上げるためのものとだけ捉えやたら高い手作りを好む手役至上派、特にあまり見た目の良くない(役牌バック等)仕掛けを忌み嫌うメンゼン至上派。鳴くと手が狭まることを必要以上に恐れる守備至上派。狙わなければ尚苦しい場合であっても、手役狙いは苦しいと手役を軽視する棒テン至上派。何でもかんでも鳴きたがるタコ鳴き派…。仕掛けの技術を習得するのは実に難しい。しかし、逆に言えば、それだけ他の打ち手との実力差をつけられる分野でもあるのだ。

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