対人読み

相手の仕草や表情を読んだり、面子の打ち筋の傾向から読むといったものがこれにあたりますが、このような読みがどこまで有効かは怪しいものがあります。

システマティック麻雀研究所 「技術的精神論」より、「読み」や「裏をかくこと」が役に立たない理由参照。

ランダムな相手の総体的な和了傾向や降り傾向をつかむことが重要であって、ランダムな相手の打ち方をほんの数試合から知ることは難しい。「こいつはリーチがかかると降りるタイプ」という判断は、非常に多くの場合間違う。

例えばおれは東風戦で先制リーチされたとき、8割方降りる打ち方だとする(2割程度は勝負に値する状況だとして)。3試合のうちにおれが9回降り、3回勝負したとしよう(8割方降りる人にとってこれは非常によくあることだろう)。これをもって「とつげきは75%攻める打ち手だな」と判断する。しかしこれは、たった1回の試行の違いで7〜8%もずれる「読み」である。しかも、少し手が入っていたり、逆だったりすると、10回中10回降りることや5回攻めることもよくあることだ。

非常に大きな誤差が頻繁に起こる上、実際には直感では「75%攻める」などという細かい読みはしておらず、「攻撃型」「守備型」「普通」程度の区切りだろう。その程度の曖昧な区切りで、全体として有効な戦術に活かせるような特定他家の挙動は「読め」ないだろう。

「普通」の降り方をする相手3人に対してなら降りるべきだった局面で、1つの「読み違い」によって攻めてしまう状況は、「読み」によってうまく当てられてかつその判断が有効に働く状況よりもかなり少ないか、せいぜい同じ程度は生ずるのではないか?

「読み」的中率が80%だった場合、結局3人全員に対する「読み」が的中する確率は半々、つまり運のみになる。そしてたった12回程度の試行から、50%前後の範囲内にある現象の生起確率を80%以上の精度で当てることは極めて困難である。そのような「読み」が、「総体的傾向」から得られる平均データよりも優れていることはかなり稀なことだ。

こうした「気付き」が、麻雀を古臭い「読み合い」ゲームではなしにリーチをかけてツモ上がるゲームにしたのではなかったか?

例えば役牌2つポンしている他家なら、12順目にリーチしても降りない場合が多い。これは「守備型」であっても多くの場合そうだ。ここで今おれが「役牌2つポンしている他家なら、12順目にリーチしても降りない場合が多い」と言ったこと、これが「総体的な降り傾向」(データ)である。

読みは基本的にあてにならないと思った方がいい。特に、「読んだ」結果が当たったか外れたかを印象でしか覚えていない程度であれば、それは古い妄想の一つでしかなかろう。

さらに、「読んだ」結果が間違えたことによって、「読んだ」結果が当たったことによるメリットと同程度のデメリットがあるような場合は、よほど精度が高くなければ意味がないことを心得るべきだ(だからツモ切り順から当たり牌を「読んで」無スジを通すことは戦術としてほとんど役立たないのだ)。その「読み」のさらに裏をかく、に至っては、まさにオカルトでしかない。

またランダムでない相手に対しても、漠然と「守備的」「攻撃的」程度の判断で相手の打ち方を見定め(=自分の打ち方を変え)ているようでは、平均データに乗って打つより効率的な戦術はとてもたてられない。その場合も簡単にでいいからデータを取ろう(放銃率やリーチ率などの簡単なものだけでもいい)。

「読み」が当たったかどうかの直感的な判断は、大きく印象に依存し、だからこそ麻雀界には無限とも言えるほどたくさんのオカルトが生まれたことを忘れないこと。語り好きの打ち手のほとんどが凡庸な成績しか出せないことは、彼らの語りのほとんど全部がこうしたオカルトでしかないことを示す。

ただ、テンパイするとそわそわしたり、急に饒舌になったり寡黙になったりする人も中にはいます。何度も打っていてそのような傾向があることが明らかな相手に対してはそのような読みも有効でしょう。

また、面子の打ち筋に関しても、長期で固定面子と打つような場合(プロのリーグ戦等)であれば打ち筋の傾向から読むことが有力になる場合もあるかもしれません。但し、そのような場合も、簡単で良いからデータを取ることが賢明です。人が持つ印象というのは案外あてにならないものなのです。

デジタル的にいつも同じ状況で同じように打っていれば読まれ易くなるという意見がよく見受けられますが、手牌が不確定である以上、同じ状況なので同じように打っていることが分かるのは自分自身だけです。あくまで、同じ状況で同じように打つのであり、どのような状況でも同じように打つのではありません。愚形リーチや安手の仕掛けをしない等の、どのような状況でも同じように打つ打ち手であれば読み易くもなるでしょうし、そもそもそのように打つこと自体が読まれるかどうか以前に損なことです。もちろん、同じ状況で切る牌がコロコロ変わるような打ち手は、何度となく損な打ち方をすることになります。何がきたら何を切るか、何が出たら鳴くかなどの判断を予め済ませておくことができるようになれば、実践で迷うことなくスムーズに打牌できるようになり、結果仕草や表情で読まれるようなことも無くなります。その為に必要なのは、まさに正しい戦術を学び、同じ状況で同じ牌を切れるようになることに他なりません。


読みの技術論はここまで、次回は上達の為の方法論について(他の戦術講座で見受けられないような目新しい内容は特にないので手短に済ませます)。

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