何切る議論法

  • ルール(評価法)と状況が十分に与えられていれば、何切るに正解は存在する。(麻雀には正解が存在する。)

参考文献:麻雀荘メンバー語録 version2.0 「麻雀の話

いつからだろうか・・・・
僕は麻雀の話がとても嫌いになっていたんだ。
麻雀の話
? ちょっと違うな・・・
自分だけが一方的にする麻雀の話は、今でも好きですよ(笑)
だだ・・・
人の麻雀の話を聞くのが嫌!!
人と麻雀の話で議論するのが嫌!!
わがままでしょ?(笑)

以前はね――わりと好きだったんだよ。
「いや!これ切り以外ありえないでしょ?」

「そんなことないって!こっちのほうが優秀だし!」

なんてね。ようやってたような気がします。

きっかけ?そうだな・・・あんまり覚えてないんだけど――
ある日ふと―― なんか醒めちゃったんだよな。

いつものようなやり取りを傍目でみてたのさ
僕には優劣つけ難そうな選択に見えたんだけどね
「いや!○▼×※※■」

「そんなことないし!▲△○◎※※」

お互いに譲らず、そりゃあ〜もう延々と話してんのですよ

なんか―― 段々その会話がね
「いや!俺は目玉焼きには絶対にソースを掛けるよ。だってソースのほうが・・・」

「そんなことないし!醤油のほうが絶対においしいでしょ?」

内容的にはこんな感じに聞こえてきてしまって(笑)

好みってさ
人それぞれあってもいいよね?いいと思うよ。
でもさ
自分の好みを人に押し付けるのはアレじゃない?

醤油が大好きなのにさ
ソースの良さを延々と語られてもさ
ましてやその件で口論になろうもんなら

ほっといていただけますか??
ねぇ
そんな感じでしょ?

目玉焼きに醤油とソースをかけるのはどちらが美味しいかについては、人の好みによるので正解は出せません。しかしこれが、「誰にとって」 という一文が入れば、正解は確かに存在します。その人が美味しいと感じたほうが正解なのです。前者は評価法が人によって違う(「自分」にとって美味しい)ので正解が存在しないのに対し、後者は「誰」という対象が特定されているので、評価法が一つに定まるが故に正解が存在するのです。

麻雀も、評価法が人によって違えば(「トップ重視」「平均順位重視」「勝敗より魅せる麻雀を打ちたい」等)正解が異なる場合もあるでしょう。しかし、ルールという、客観的な勝敗評価法が存在する以上、そのルールに応じて最も勝ちやすい選択をすべきであることは、質の高い議論を行ううえで、何切るのコミュニティに属する構成員内で共有されるべき認識です。

状況に関してもルールと同様です。(味付けの話に例えれば、Aさんは今体調があまり優れないので薄い味付けのほうがいいといったところでしょうか。)問題に設定されていないルールや状況については、前回書きましたように適宜設定して回答すれば良いです。大抵の場合は簡単な場合分けで済みます。

但し、これは問題を出す側の注意点ですが、特に重要な状況(その条件の有無で選択が大幅に変わりうる)であり、回答側がその状況を想定することが困難なものについては必ずその状況を書くべきです。特に、押し引きが絡む問題の場合に顕著です。全体の河はもちろん必須で、手出しかツモ切りか(仕掛けている他家に対しては特に)の表示も欲しいところです。

  • 正解が分からないと、正解がないを混同しない。

優劣が非常に微妙な問題も存在します。(厳密には、微妙かつその比較を行う適切で体系化された方法が存在しない場合、親で西北かを切って七対子のダブリーを掛ける場合、裏ドラの乗りやすさで西単騎に受けるように優劣は僅差だが比較自体は容易な問題もあるので)このような問題が出題された時に、「何切るに正解はない」「正解は一つだけではない」という類の発言をする人が多くいます。先述しました通り、ルールと状況が十分に与えられていれば、正解は存在します。もちろん、親で三五七とあって三七を切ればダブリーが掛かるという状況であれば三切りリーチと七切りリーチの優劣が存在しないように、正解が複数存在することは有り得ます。しかしこれは、三切りと七切りの間に差がないことが明らかであるからであり、優劣が非常に微妙であるとはいえ、そこに異なる性質の「差」が存在する以上、優劣もまた存在することは確かなのです。ただ、現時点ではその優劣を知る術が存在しないだけなのです。

また、このような比較が困難であったり、比較できても優劣が微妙な問題を解くことは(実力向上のうえで)意味が無いと主張する人もいます。確かに、現時点で結論が出せない問題について延々と議論を続けることは不毛なことです。しかし、そこにどのような「差」があり、何故優劣が微妙であるのかを知ることは決して無駄ではありません。実戦で、今回は○○という条件があるから××切りが有力であるというように選択できるのは、○○という条件が無ければ微妙ということを知っているからこそなのです。

  • 正解が分からないと、自分にとって分からないを混同しない。

これは言わずもがなです。多くの強豪が集まる洗練された何切るコミュニティーを参考にして実力向上に努めましょう。しかし、洗練されていて、尚且つ定期的に問題が出題されているコミュニティーは滅多にないものです。私は「何切る掲示板」くらいしか知りません。

  • 正解が存在することは、正解を出すことができる保障にはならない。

麻雀においてコンピュータがまだ人間に勝てないのは、コンピュータが習得できないような技術が麻雀に必要だからではありません。単に、コンピュータでもできるような、「読み」「牌効率」「押し引き」の技術が、開発者が非常に少ないこともあってまだ洗練されてないからです。将棋ではつい先日コンピュータがアマ名人を破りました。プロの名人に勝つ日も、そう遠くはないでしょう。

参考文献:asahi.com 2008年5月5日「人間の頭脳、ついに敗れる…将棋ソフト、アマ名人下す

千葉県木更津市で5日開かれた「第18回世界コンピュータ将棋選手権」(コンピュータ将棋協会主催)のエキシビションマッチで、朝日アマ名人の加藤幸男(ゆきお)さん(26)とアマ名人の清水上徹(しみずがみ・とおる)さん(28)というアマチュアトップ2人が将棋ソフトと対戦し、ともに敗れた。アマのタイトル保持者が公開の場で将棋ソフトに敗れるのは初めて。

世界コンピュータ将棋選手権は将棋ソフト同士が実力を競う大会。3〜5日に40チームが参加して開かれ、「激指(げきさし)」が3年ぶりに優勝、「棚瀬将棋」が準優勝した。エキシビションでは、加藤さんが棚瀬将棋と、清水上さんが激指と対戦した。持ち時間は15分、無くなると1手30秒未満で指すルール。加藤さんは攻め倒され、清水上さんは中終盤の競り合いで負けた。

コンピュータ将棋協会の滝沢武信会長は「予想外の結果。これまで勝てなかったアマトップに勝てたことは歴史的なこと」と驚いた様子。加藤さんは「完敗です。清水上さんもがっぷり四つで負けた。コンピューターが強くなった」と話した。

将棋ソフトの実力向上はめざましく、今後10年以内にトッププロに追いつくとされている。昨年3月には「Bonanza(ボナンザ)」が渡辺明竜王に善戦して話題になった。日本将棋連盟は05年10月、プロ棋士が無断でソフトと対戦することを禁止している。

将棋界でも、まだソフトの開発が進んでいなかった時代は、麻雀界同様、将棋はコンピュータが習得できないような技術が必要だからソフトが人間を超えることはないという意見が主流だったのです。

麻雀だけが例外であるとは、私には思えません。

では、将来コンピュータが名人を超えるようになったら、全局面における最善手、即ち、将棋の「結論」を出すことができるようになるのでしょうか。答えはNOです。将棋の全局面数は10220通りという想像を絶する程膨大なものであり、これは仮にコンピュータの演算速度が今までのペースで速くなったとしても、全面探索を行うことは到底不可能であると言われています。麻雀においても、全面探索は同様の理由で不可能でしょう。もちろん、将来画期的な方法が発見され、「結論」が出る可能性もあります。しかし、正解を出すことができる「保障」はないわけです。

  • 議論は価値観の押し付けに他ならない。

何切る問題に限らず、議論が起こると、「押し付けは良くない」と発言する人がしばしば見受けられます。しかし、議論とは自分が正しいと思うことを主張するものですから、それを押し付けと捉える人はどうしても出てきます。そもそも、「押し付けは良くない」という主張もまた押し付けなのです。

参考文献:名言と愚行に関するウィキ 「押しつけ

Revin †

自分の思想や意見に、相手を従わせること。

低レベルな場において、ことさらに「押しつけではない」「相手の意見を尊重する」という姿勢を強調し、あたかも自分が様々な意見に対して聞く耳を持っているように振舞うことがあるが、全てが誤りである。

議論においては自分の意見を相手に押しつけることにこそ価値があるし、第一、彼は、自分の意見への反発を少しも尊重しない。

→尊重↑

とつげき東北 †

自分の気に食わない意見を強く主張されたときに思わず大衆が口にする、「意見(価値観)を押し付けてはならない」という言葉ほど押し付けがましい言葉はない。
 単に強い語調で主張しただけで押し付けだと捉えられるならば、全ての主張は押し付けである。それが嫌だと言うならば、ネット上で「議論」などせずにはなからだまるか、「押し付け」を認め合ってお互いに言葉の限りを尽くすかすべきである。
 彼らにあっては、「押し付けはよくない」という名言さえ相対化できないのである。
「これはあくまでも私の意見だが……」と断った上で発せられる言葉も、やはり「押し付け」に他ならないし、そうでないとすれば、「押し付け」であると彼らが認識する全ての発言の前に「これはあくまでも私見だが」という言葉を適宜追加すればよろしかろう。

議論が白熱してくると、彼らはついに議論の中身を放棄しはじめる。中身において圧倒的に不利になると、その論旨の主張のやり方や態度を問題とする必要が出てくる。
 相手がいかに論理的であっても「押し付け」的な態度だからダメであり、それに比べて自分の主張はあくまでも自分の中でとどまっている、いくら論理的に反駁されても、考え方は人それぞれなのだから、全く平気なのだ、私は人に意見を押し付けるような真似はしない――彼らは自分の「考え」の中に引きこもる。自由主義的な呪いにからめ取られた彼らは、本来ならばたやすく打ち砕かれるべき矮小な「個人的考え」とやらを後生大事に抱え込んで生きて行く。→自分で考える
 彼らは彼らの持つどんな主張も「押し付け」ることができない程度に意志薄弱で脆弱であり、常に他人の優れた思想を「押し付け」られざるを得ない存在である。

「いくら正しくても、そんな姿勢では社会に出て通用しない、認められない」――筆者が幾度となく聞いたセリフである。

ただ、押し付けがましいと感じるような輩がコミュニティー内に現れることも確かにあります。そのような場合は「押し付けは良くない」と言うのではなく、次のような方法で対処しましょう。

押し付けがましい相手によくあるのは、「恥ずかしい」「見苦しい」等の感情的発言と、「○○は有り得ない」「××以外有り得ない」という理由のない断定的発言です。前者に関しては、「ルールに応じて最も勝ちやすい選択をすべき」という評価法に反しているので、そこを指摘すればよいです。麻雀の勝敗評価法に感情の入る余地はありません。後者については、まず理由の提示を求め、その後、その理由がいかに的外れなものであるかを論理的に指摘すれば結構です。優劣が微妙な場合や、明確に他に有力な打牌がある場合に、「○○以外有り得ない」と言うような短絡的な発言をする相手ですから論破は容易いでしょう。(もちろん、自分が間違っていたらお話になりませんので打牌を論理的に説明する技術は身に付けておきましょう。)

典型事例:mixiコミュニティ 【麻雀】何を切る? トピック「鳴いた後何切る?

↑に典型的な人がいますが、そういう相手に対し、「押し付けは良くない」「正解は一つではない」等の発言に終わってしまう人が多いことは残念でなりません。

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