前回の、対子の筋牌は重なりやすい(例:が対子ならやも対子になりやすい)というセオリーは、土田浩翔プロが提唱する対子理論の一部です。
土田プロは他にも、七対子狙いの時、のように一盃口の形になっているとが重なり易いということも主張されてます(が場に見えてない前提)。
事実、今回はより明確な因果関係から、残しの優位性を挙げることができます。
まず、、を二枚ずつ持っているので、その分を含んだ面子を作りにくくなります。面子が作りにくい牌であれば、それだけ他家から切られやすくなります。切られやすい牌なのに切り出されないということは、山に残っている可能性が高く、ツモりやすいということになるわけです。
今回は実際にツモりやすいので、対子の筋牌より優先して残すべきと言えます。では二枚のとが自分の手牌ではなく、河にある場合はどうでしょう。
が面子を構成しにくい牌になっていることは同じですが、一つ大きな違いがあります。
それは、「が面子を構成しにくい牌になっている」という情報を他家も知っているということです。それを他家が知っていればよりは切られやすくなるはずですから、他家から切られないのであれば、手牌にとある場合よりも更にが山に残っている可能性が高く、重なりやすいと言えるのです。
更に、切られている枚数は同じでも、を切っている他家の数が多い方が、が既に搭子や面子として使われている可能性が低くなるので、よりをツモりやすいことも言えます。
対子理論もあながち誤りとは言えず、理にかなったところもあると思います。
しかし、手牌が直接山に影響を与えたりすることはありません。ツモりやすい牌を残すには、自分の手牌と河から他家の手牌を推測し、他家が持っていないと予測できる牌を残すよりないのです。