デジタルとアナログ

打牌選択のシステム化を重視するのがデジタル派でしたが、システム化しにくい要素(例えば、場にマンズが高いという情報を、どの程度打牌選択に反映させるか)については、どうしても軽視しがちになるという問題点もあります。(無理矢理システム化を試みるデジタル派も少なからずいますが、今度は高い確率で誤ったデジタルに陥ってしまいます。)あらゆる要素を考慮に入れなければならない局面はそれほど多くないので、一部の情報以外は切り捨ててシステム化する手法は有力ではありますが、完全ではないのです。

一方、このような要素も切り捨てずに考慮に入れようとするのがアナログです。しかし、どの程度考慮に入れるべきかという有力な基準がない以上、どうしても勘や感性、経験則に頼らざるを得なくなります。運の要素の強い麻雀においては、人間の勘や感性はとりわけ当てにできるものではありません。

ここで、将来戦術研究が進み、現在ではシステム化しにくいとされる要素まで高い精度でシステム化することに成功した打ち手と、類稀なるセンスを持ち、普通であればただのあてずっぽうにしかならない感性によって、非常に高い精度で正着を打つ打ち手を想定します。前者はデジタル派であり、後者はアナログ派ということになります。両者は打牌選択に対する考え方では逆の立場にあります。しかし、打牌選択そのものについてはどうでしょう。ルールと状況が定まっている以上、突き詰めれば正着は必ず一意的に定まります。(過去に書いた内容の繰り返しになるが、正着の存在が保障されているだけであり、それが何なのかを我々が理解できる保障があるという意味ではないことに注意。)極めて高い確率で正着が打てるのなら、両者の打ち筋は非常に似通ったものになる筈です。つまり、非常に精密なデジタルはアナログに近づき、その逆もまた然りなのです。

よって、もし麻雀の究極の真理―全ての局面における正着が解明されたとすれば、そこには最早デジタル、アナログの区別は無く、両者は一体化するのです。

そのようなことになれば麻雀がつまらなくなり滅びる(巷の表現では、皆が“デジタル“で打つようになったらとなるようですが、ここでの定義に合わせれば、デジタルとアナログの完全な合一とも言うべきでしょうか)のではという主張が最近話題[1]になったようですが、果たして本当にそのようなことになるのでしょうか。

長くなりそうなので続く。


  1. 以下ブログ記事参照。
    ・なめとんの麻雀BLOG 「仮説「麻雀は滅びる」
    ・ペチョーリンの天鳳日記 「麻雀は滅びに向かっているか
    ・天才と云う名のギミック 「麻雀は滅びる
    ・やましただいちゃんブログ 「言いたい事は最後の2行だけです
    ・麻雀、野球、漫画・・・他諸々の日々 「麻雀について小難しく
    ・麻雀本を斬る!麻雀ゲームを斬る!! 「オカルトは無くなるの?」
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